
シンガポールでは現在も、犯罪者の身体を鞭で打つ「鞭打ち刑」が法律で認められています。性犯罪や強盗などに科される刑罰として知られていますが、2025年12月30日からは一部の詐欺犯罪にも適用が拡大されました。
日本でも、2024年に日本人男性が鞭打ち20回の判決を受け、実際に刑が執行されたことが話題になりました。一方で、鞭打ち刑は誰にでも科されるわけではなく、対象者の年齢や性別、回数、執行方法には法律上の制限があります。
実際にはどのように執行され、どれほどの身体的影響があるのでしょうか。また、なぜ現代のシンガポールでこの刑罰が続いているのでしょうか。2026年10月時点の法律や政府発表をもとに、制度の実態と日本人の事例、近年の法改正を整理します。
シンガポールの鞭打ち刑とは?制度の仕組みと2026年の実態
シンガポールの鞭打ち刑は、英語で「Caning」と呼ばれる身体刑の一つです。裁判所が有罪判決を下した際、拘禁刑などと併せて科されることがあり、受刑者の臀部(お尻)を籐(とう)でできた鞭で打ちます。
日本では犯罪に対する刑罰として鞭打ち刑は認められていませんが、シンガポールでは刑法や刑事訴訟法に基づく正式な刑罰として存続しています。ただし、すべての犯罪に適用されるわけではありません。犯罪の種類によって、鞭打ちが義務付けられているものと、裁判所が科すかどうか判断できるものがあります。
また、シンガポールにおける鞭打ちには、裁判所が科す刑罰以外に刑務所内での懲罰などもあります。この記事では、主に刑事裁判の判決によって科される鞭打ち刑について説明します。
鞭打ち刑はどのように執行されるのか?
シンガポールの司法上の鞭打ち刑は、一般に刑務所などの施設内で、外部の人々には公開されない形で執行されます。受刑者は専用の設備に身体を固定され、執行担当者が臀部に鞭を打ちます。
使用されるのは籐製の鞭で、2026年10月時点の刑事訴訟法第329条では直径が1.27センチメートル以下と定められています。少年に対しては、より軽い鞭を使用する規定があります。
執行時には医師の立ち会いが必要で、受刑者が刑に耐えられる健康状態にあるかを確認しなければなりません。医師が適切な健康状態にないと判断した場合、そのまま刑を執行することはできません。
シンガポールの最高裁判所は2015年の判決で、鞭打ち刑が非公開の環境で行われ、身体への危険を抑えるための医療上の監督を伴うことなどを説明しています。もっとも、医師が立ち会っているからといって、身体への苦痛や負傷がなくなるわけではありません。
鞭打ち刑は何回まで?途中で中止されたらどうなる?
シンガポールの刑事訴訟法では、成人に対する鞭打ち刑の上限は原則24回、少年の場合は10回とされています。実際に科される回数は、適用される法律や犯罪の重大性などによって異なります。
ここで重要なのが、鞭打ち刑は複数回に分けて執行できないという点です。刑事訴訟法第330条は分割執行を禁止しているため、例えば20回の判決を受けた人に対し、今日は10回、数日後に残り10回という形で刑を執行することはできません。
では、途中で受刑者の体調が悪化した場合はどうなるのでしょうか。
第331条では、医師が受刑者は残りの鞭打ちを受けられる健康状態ではないと判断した場合、執行を中止しなければならないと定めています。その後は第332条に基づいて裁判所が刑を見直し、残りの鞭打ち刑を免除するか、最大12か月の追加拘禁刑に変更するかを判断します。
つまり、健康上の理由で中止になったからといって、後日残りの鞭打ちを再開する制度ではありません。これは鞭打ち刑の実態を理解するうえで重要なルールです。
女性や50歳以上の男性も鞭打ち刑の対象になるのか?
シンガポールでは、鞭打ち刑を科すことができる対象者にも制限があります。裁判所の公式案内では、司法上の鞭打ち刑の対象となるのは原則として50歳未満の男性です。
女性と50歳以上の男性は対象外とされており、死刑判決を受けていて、その刑が減刑されていない男性にも鞭打ち刑は執行されません。
ただし、鞭打ち刑の対象外であっても、犯罪に対する処罰がなくなるわけではありません。法律上の条件を満たす場合、裁判所は鞭打ち刑の代わりに最大12か月の追加拘禁刑を科すことができます。
また、外国人だからといって鞭打ち刑を免除されるわけではありません。シンガポールの法律に基づいて有罪とされた外国人にも、適用条件を満たせば鞭打ち刑が科される可能性があります。実際に日本人男性への執行事例も確認されています。
どのような犯罪で鞭打ち刑が科されるのか?
鞭打ち刑は、性犯罪や強盗などの重大な犯罪を中心に、法律で定められた一定の犯罪に適用されます。代表的なものには、次のような犯罪があります。
- 強姦や性的暴行などの性犯罪
- 強盗などの暴力犯罪
- 一定の薬物密売・薬物関連犯罪
- 法律で定められた詐欺・詐欺組織関連犯罪
- その他、個別の法律で鞭打ち刑が規定された犯罪
ただし、同じ分類の犯罪でも、具体的な行為や適用条文によって刑罰は異なります。例えば、薬物に関する犯罪なら何でも鞭打ち刑になるわけではなく、所持や密売などの行為の内容、薬物の種類、数量などによって適用される刑罰が変わります。
また、鞭打ち刑が義務的に科される犯罪と、裁判所の判断で科すことができる犯罪は区別する必要があります。2025年には、従来の対象犯罪についても必要性が見直され、2026年には一部の刑罰が変更されました。
2025年末から詐欺犯罪にも鞭打ち刑が導入された
2026年現在の制度で特に注目されるのが、詐欺犯罪への鞭打ち刑の適用拡大です。
シンガポールでは2025年11月4日に関連法案が可決され、同年12月30日から一定の詐欺・詐欺関連犯罪に鞭打ち刑を科す制度が施行されました。背景には、詐欺被害の件数や金銭的被害が深刻な問題になっていることがあります。
新制度では、主に遠隔通信を使って人を欺き財産を交付させる詐欺の実行者や、一定の詐欺組織の構成員・勧誘者に対して、最低6回、最大24回の義務的な鞭打ち刑が設けられています。
さらに、詐欺で得た金銭の移動に関わったり、詐欺に使われるSIMカードや認証情報などを提供したりする一定の犯罪については、最大12回の裁量的な鞭打ち刑が導入されました。この場合は、犯罪に使われることを知っていたかなど、個別の法律で定められた条件が重要になります。
ただし、詐欺事件に少しでも関与すれば必ず鞭打ち刑になるという意味ではありません。実行者、組織の構成員、犯罪を手助けした人では適用される規定が異なり、年齢や性別による制限もあります。
これらの変更は、シンガポール政府が詐欺犯罪への抑止力を強化する目的で導入したものです。詳しい適用条件は、シンガポール警察の公式案内でも確認できます。
2026年8月には一部の鞭打ち刑が見直された
詐欺犯罪に対する厳罰化が進められる一方で、シンガポール政府は鞭打ち刑の対象となる犯罪の見直しも行っています。
2025年10月の政府説明では、当時鞭打ち刑が規定されていた161の犯罪を検討した結果、139の犯罪については従来の刑罰が適切と判断されました。一方、22の犯罪については鞭打ち刑そのものを廃止するか、義務的な鞭打ち刑を裁判所の判断によるものへ変更する方針が示されました。
この見直しに関する法改正は、2026年8月17日に施行されています。
つまり、シンガポールはすべての犯罪に対して鞭打ち刑を増やしているわけではありません。詐欺などの重大な社会問題には厳しい刑罰を導入する一方、犯罪の性質や被害の程度に応じて刑罰を調整する動きもあります。
日本人男性への鞭打ち刑20回は実際に執行された
シンガポールの鞭打ち刑が日本で大きな注目を集めたのは、2024年に日本人男性が鞭打ち20回の判決を受けた事件です。
男性は2019年12月、シンガポールで泥酔状態の女性に性的暴行を加えるなどした事件で強姦罪などに問われ、2024年7月1日にシンガポール高裁から禁錮17年6か月と鞭打ち刑20回の判決を言い渡されました。
男性は上訴せず、判決が確定しました。その後、実際に鞭打ち刑が執行されていたことが2025年2月5日に報じられています。男性の弁護人を務めた弁護士が明らかにしたもので、2024年中に執行されたとみられています。
弁護人によると、刑は14日間の上訴期間が終了してからまもなく執行されました。ただし、執行後の男性の健康状態や詳しい容態については明らかにされていません。
在シンガポール日本大使館は、一般に刑の執行の有無は公表されないとして個別の執行状況について回答を控えた一方、大使館が把握する限りでは、日本人が鞭打ち刑を受ける初めての事例に当たるとの認識を示しています。
この事件によって、外国人であっても現地の法律に基づいて鞭打ち刑が科され、実際に執行されることが日本でも広く知られるようになりました。事件の経緯と執行に関する詳しい情報は、2025年2月5日の弁護士ドットコムニュースで確認できます。
鞭打ち刑はどれほど痛い?傷跡や精神的な影響は?
鞭打ち刑は身体に直接打撃を加える刑罰であり、強い痛みや皮膚の損傷を生じさせる可能性があります。打撃の回数や受刑者の身体状態などによって影響は異なりますが、刑の執行そのものが大きな身体的負担を伴います。
傷跡が残る可能性や、執行に対する恐怖、精神的な苦痛についても指摘されています。ただし、すべての受刑者に同じ症状が現れるわけではなく、傷の回復に必要な期間や長期的な精神的影響を一律に示すことはできません。
そのため、「必ず永久的な傷跡が残る」「全員がPTSDになる」といった断定は適切ではありません。身体的・心理的な影響については個人差があることを踏まえて考える必要があります。
また、執行時に医師が立ち会い、健康状態を確認する制度があることと、刑罰そのものが人道的かどうかは別の問題です。医療上の監督が行われていても、身体的な苦痛を与える刑罰であるという性質は変わりません。
鞭打ち刑に犯罪の抑止効果はあるのか?
シンガポール政府は、鞭打ち刑を犯罪の抑止や犯罪の重大性に応じた処罰の手段として位置付けています。厳しい刑罰が存在することで、犯罪を思いとどまらせる効果を期待する考え方です。2025年末に詐欺関連犯罪へ鞭打ち刑が導入された際にも、抑止力の強化が目的として説明されました。
一方で、鞭打ち刑が実際に犯罪や再犯をどの程度減らしているのかについては、慎重な検証が必要です。
2025年にシンガポールのメディア「CNA」が掲載した法律専門家の論考でも、司法上の鞭打ち刑の犯罪抑止効果を検証する政府の研究は確認できず、他の刑罰より効果的だと結論付けるための実証的なデータが不足していると指摘されています。
つまり、政府が犯罪抑止を目的に制度を維持していることと、鞭打ち刑の効果が科学的に証明されていることは同じではありません。犯罪発生件数だけを見て、鞭打ち刑によって治安が維持されていると断定することもできません。
なぜシンガポールでは鞭打ち刑が続いているのか?
シンガポールで鞭打ち刑が続いている背景には、重大犯罪への抑止力を重視し、犯罪の内容に応じて厳格な刑罰を科すという政府の刑事政策があります。
政府は、犯罪による被害の重大性や社会への影響、刑罰の抑止効果などを考慮して制度を設計する立場を取っています。2026年の法改正でも、すべての鞭打ち刑を廃止するのではなく、犯罪ごとにその必要性を見直す方向が選ばれました。
しかし、この制度には国際的な批判もあります。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、身体的な苦痛を意図的に与える鞭打ち刑を、残虐で非人道的、または品位を傷つける刑罰として批判し、廃止を求めています。
一方、シンガポールの裁判所は2015年の判決で、国内法に基づいて規制された鞭打ち刑の実施方法について検討し、制度の是非を最終的に判断することは立法府の役割であるとの考え方を示しました。
このように、シンガポールの鞭打ち刑をめぐっては、犯罪被害の防止と厳格な処罰を重視する立場と、身体的苦痛を伴う刑罰は認めるべきではないという人権上の立場が対立しています。
2026年現在も鞭打ち刑は廃止されておらず、詐欺犯罪への適用拡大と一部犯罪での刑罰緩和が並行して進められています。今後も、犯罪の抑止効果や刑罰の妥当性をめぐる議論が続くと考えられます。
主な参考資料と確認日
情報確認日:2026年10月15日。シンガポールの刑事訴訟法、裁判所の公式案内、内務省・警察の発表、日本人男性への執行に関する報道などを確認しました。犯罪ごとの適用条件や法律の内容は、今後の改正によって変更される可能性があります。
- Singapore Statutes Online|Criminal Procedure Code 2010(刑事訴訟法・鞭打ち刑に関する規定)
- Singapore Courts|Types of sentences(刑罰の種類と対象者)
- シンガポール内務省|2025年12月30日施行の刑法改正
- シンガポール警察|詐欺・詐欺関連犯罪への鞭打ち刑導入
- シンガポール内務省|2026年8月17日施行の法改正
- 弁護士ドットコムニュース|日本人男性への鞭打ち刑執行(2025年2月5日)
- Singapore Courts|2015年の鞭打ち刑に関する裁判例
- Amnesty International|シンガポールの鞭打ち刑と人権上の問題


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