過去に「北センチネル島に足を踏み入れた人」はどうなったのか?|今まで上陸した人物とその後のまとめ

北センチネル島素材01 世界の不思議

北センチネル島(North Sentinel Island)とは?上陸した人はどうなったのか—センチネル族の歴史と現在|“最後の孤立部族”と外界の100年史

インド・アンダマン諸島にある北センチネル島(North Sentinel Island)には、外界との接触を頑なに拒み続けるセンチネル族が暮らしています。21世紀の今も上陸は法律で禁止され、周囲5km以内の接近も不可。

では、歴史上この島に「足を踏み入れようとした」人たちは実際どうなったのか——主要事例を年代順に辿り、上陸した人についてや、背景にある理由と現在の到達点をこの記事にまとめて記載します。

north_sentinel_map
North Sentinel Island

なぜ北センチネル島の住民は攻撃的なのか——ポートマン事件が残した“学習”

センチネル族の“攻撃性”は、野蛮さではなく小規模集団の生存を守るための合理的な自衛反応と考えられます。決定的な転機は1880年、英海軍将校モーリス・ポートマンの「島外連行」です。調査を名目とした上陸後、モーリス・ポートマンは老男女1組と子ども4人を島外へ連れ出しました。ところが、長期孤立ゆえに外来病原体への免疫を持たなかったと見られる老夫婦は急速に体調を崩し死亡。

その後、ポートマンは“埋葬された老夫婦を失ったまま”、残された子どもたちを大量の贈り物(ココナツや衣類・金属小物など)と一緒に島へ戻しました。センチネル族の視点に立てば「外来者は病と死を運ぶ」という痛烈な経験学習が生じたはずで、以後の武装・威嚇・排除は、疫学的リスク回避と領域防衛を目的とする一貫した“防衛戦略”として説明できます。


北センチネル島に足を踏み入れた人物とその後のまとめ

「北センチネル島に足を踏み入れた人はどうなってしまうのか?」
「センチネル族と交流が取れるのか?」
「生きて帰ってこれるのか?」

この項目では北センチネル島に実際に足を踏み入れた人物がその後どうなってしまったのか?センチネル族に食べられるという噂もあるほどですが、その真相についても詳しく記載していきます。

1867年(船員)英船ニネベ号座礁——初の“敵対的遭遇”の記録

当時イギリス領インドで英船ニネベ号が島沖で座礁し、約80名の乗組員が上陸しました。ほどなく弓矢と槍による激しい攻撃に遭い死傷者が発生。生存者は密林に身を潜めて救援を待ち、のちに植民当局の船で救出されます。この事件を機に、「北センチネルとの接触は極めて危険」という評価が公的記録として定着しました。

1880年(英海軍将校・調査官)モーリス・ポートマンの上陸と島外連行

英海軍の調査隊を率いたポートマンは無人の集落を確認後、老男女と子ども4人を“調査”名目で連行。老夫婦は島外で急速に体調を崩して死亡しました。ポートマンはその後、残る子どもたちを大量の贈り物とともに帰島させます。この件をきっかけにセンチネル族にとって「外界=死のリスク」や「外界=自分たちの命を奪う者」という不信と警戒を部族に深く刻んだと考えられます。

1981年(船員)香港貨物船プリムローズ号座礁と武装威嚇

悪天候で船内待機する船員を、武装したセンチネル族が取り囲むように威嚇。後にヘリが到着し全員救助されました。その場に残置された船体から金属部品がセンチネル族に回収され、矢尻などに再利用された形跡が確認されます。これを機に“最後の孤立部族”として世界的に知られるようになりました。

1991年(人類学者・官僚)インド政府チームの“非上陸接触”

インド政府の人類学調査チームは上陸を避け、沖合からココナッツを投下して慎重に接触を試みました。初めは武装して海岸に現れた男性らも、やがて警戒を解いてココナッツを回収し、友好的とも解釈できるジェスチャーが記録されます。ただしこの平穏は一時的で、翌年以降は再び弓矢による威嚇が常態化しました。

https://x.com/Morbidful/status/1810374655816978577

英文:Footage from 1991 captures one of the few friendly encounters with the inhabitants of North Sentinel Island. This footage was captured on January 4, 1991, when Trilokinath Pandit, then director of the Anthropological Survey of India, and his team visited the island. The indigenous people of North Sentinel Island are known for their aggressive defense against outsiders, often using bows and arrows to repel visitors. Indian law prohibits entry into the island, establishing a five nautical mile exclusion zone to protect the indigenous population. In 2018, American missionary John Allen Chau, 26, was killed after attempting to visit the island.
翻訳:1991年の映像には、北センチネル島の住民との数少ない友好的な接触のひとつが記録されています。 この映像は1991年1月4日、当時インド人類学調査局の局長であったトリロキナス・パンディット氏とその調査チームが島を訪れた際に撮影されたものです。 北センチネル島の先住民は、外部の人間に対して非常に攻撃的な防衛で知られており、訪問者を追い払うために弓矢を用いることもあります。 インドの法律では、この島への立ち入りを禁止しており、先住民を保護するために島の周囲5海里以内を立入禁止区域としています。 2018年には、アメリカ人宣教師ジョン・アレン・チャウ氏(当時26歳)が島への訪問を試みた後に殺害されました。

https://x.com/Morbidful/status/1810374655816978577

1996年(政府関係者)インド政府の不干渉政策への転換

この頃、インド政府の中ではとある議論があったそうです。それは「センチネル族を文明社会へ導くべきなのか?」という議論だったそうです。そして「教育や医療、そして衣食住を提供しセンチネル族の生活水準を上げるべき」という意見と「センチネル族の意思を尊重し完全に孤立させるべき」という意見で議論が行われたそうです。その中では「文明の接触がもたらすのは支援ではなく破壊である」という意見などがあったそうです。

最終的にアンダマン諸島の他部族で、接触後に疾病流入・生活崩壊・人口激減が起きた反省から、インド政府は北センチネル島を厳格な立入禁止区域に指定。上陸だけでなく周囲5km以内への接近も違法化し、意図的接触は刑事罰の対象となりました。

2004年(沿岸警備隊員)スマトラ沖地震・津波後の生存確認

マグニチュード9級の巨大地震・津波で北センチネル島の海岸線の変化が確認され、絶滅懸念も生じましたが、インド沿岸警備隊が上空偵察に対してセンチネル族が弓矢を構えてヘリに威嚇射撃を行う様子が確認され、センチネル族の生存と自衛姿勢が再確認されました。

2006年(漁師)夜間漂流で島近くに流入したインド人2名の死亡

夜間にインド人漁師2名の船が流され島近くへ漂着。翌朝に殺害され、遺体は浜辺に打ち上がり槍が突き立てられていたとされます。上空からの遺体の回収は威嚇射撃で断念。国内でこれは殺人事件ではないかと議論が起きましたが、最終的に政府・人権団体は「我々の法の管轄外」「侵入してはならない場所へ入った、それが全て」との結論となりました。

2018年(宣教師)ジョン・アレン・チャウの違法接近と死亡

米国人キリスト教の宣教師ジョン・アレン・チャウが「神の言葉を伝える」目的で違法に上陸し、初回は威嚇射撃で撤退、再上陸しましたが、彼らは二度と戻りませんでした。翌日、島で遺体の埋葬らしき様子が目撃され、当局は空・ドローンで調査も遺体の回収不能。同行漁師6名は共犯として逮捕・起訴。遺されたジョン・アレン・チャウの日記には「私が死んでもセンチネル族を責めないでほしい。彼らは恐れているだけだ」と綴られていました。

2025年3月(米国人YouTuber/動画配信者)短時間の上陸と逮捕

“北センチネル・チャレンジ”を掲げたアメリカ人YouTuber(通称ネオリエンタリスト、ミハイル・ヴィクトルヴィッチ・ポレヤコフ、24歳)が上陸前に約1時間ホイッスルで注意を注意を引こうとするも反応なし。その後に短時間だけ上陸しココナッツや飲料缶(コーラ缶)を浜辺に残し砂を採取して5分ほどで離脱しましたが、帰途に地元漁師へ通報され逮捕。再生数目的の身勝手で軽率な侵入として世界的に大きな批判を浴びました。

https://x.com/amaresh_24/status/1909180732410360263

英文:#US YouTuber Arrested for Illegally Entering India’s Restricted #northsentinelisland Indian law forbids travel to North Sentinel Island in the Andamans. The individual left behind a can of Diet Coke and a coconut YouTuber can face up to eight years in prison if convicted

翻訳:#US ユーチューバーがインドの制限区域 #northsentinelisland に不法侵入で逮捕 インドの法律では、アンダマン諸島のノースセントネル島への旅行が禁止されています。 その個人はダイエットコークの缶とココナッツを残していきました。 ユーチューバーは有罪となれば最大8年の懲役に直面する可能性があります

https://x.com/amaresh_24/status/1909180732410360263

「人食い」は本当にあるのか?

「北センチネル島に入るとセンチネル族に食べられる」

このような噂はネットでも多く言われています。ですが実際にこの噂が本当なのかという疑問も多くあると思いますのでこの件について記載したいと思います。

結論として、センチネル族のカニバリズム(人食い)を裏づける信頼できる記録は確認されていません。

2006年の漁師や2018年の宣教師の事案でも、目撃や当局の観察は「遺体は浜辺に埋葬された」と一致します。植民地期以降に拡散したステレオタイプやセンセーショナルな俗説が検索候補として残っているに過ぎず、一次情報・公的調査・学術的知見はいずれも“人食い”の実証を示していません。


法制度と倫理:現在のコンセンサス

インド政府は1996年以降、不干渉を基本とし、上陸・接近・意図的接触を違法化。学術・文化保護の立場でも、遠隔観察と必要最小限の安全確認にとどめる姿勢が共有されています。SNS時代の“バズ目的の上陸”は住民の安全と尊厳を損ない、法的・倫理的にも許容されません。

https://x.com/maniaUFO/status/1957848513200460085

まとめ

歴史的に北センチネル島へ「足を踏み入れようとした」人々に起きた出来事は刺激的に語られがちですが、センチネル族は“攻撃的な民族”だから矢を射るのではありません。長期孤立ゆえに外来病原体への脆弱性が高く、少数集団として生存圏を守るために領域防衛=自衛行動を選んでいるにすぎません。1880年のポートマン事件(島外連行と老夫婦の死亡、子どもたちの“贈り物付き帰島”)は、彼らにとって「外来者は病と死を運ぶ」という痛切な学習となり、現在まで続く警戒姿勢の土台になったと考えられます。

なお、「人食い」説の裏づけはなく、致命的事案でも遺体は埋葬されたとの報告が残ります。

したがって、最善の関わり方は“知るほどに距離を取る”ことです。インド政府の不干渉政策に沿い、上陸・接近・意図的接触を避けることが、センチネル族の生命・文化・尊厳を守るだけでなく、外部者自身の安全を守る唯一の道でもあります。私たちは彼らの「交わらない自由」を尊重し、その選択を伝える立場に徹するべきです。


現在の伊東市議会議員選挙に立候補すると見られる「田久保派」候補のまとめ(10月4日更新)
過去に「北センチネル島に足を踏み入れた人」はどうなったのか?|今まで上陸した人物とその後のまとめ
YouTubeの新機能「ハイプ(Hype)」とは?仕組み・料金・使い方・条件・ランキングまで徹底解説
ガックリフレックスって何?大食い競技で聞くそのテクニックの正体|むせない仕組みと注意点のまとめ
【アニメ】ワンピースのリアクション動画を投稿しているYouTuberのまとめ【海外の反応チャンネル】
田久保市長はなぜ伊東市の市長に当選したのか?
【伊東市】いま田久保市長は何件の刑事告発が受理されているのか?
【伊東市長】田久保市長はメガソーラーを阻止した張本人なのか?
【伊東市】田久保市長の7月~9月の登庁、退庁時間のまとめ
【UFC】ブライアン・バトル、体重超過続きでUFCからリリース:彼のUFC体重超過のまとめ
伊東市長の学歴詐称問題:問題発覚から現在まで一連の騒動の経緯を簡単まとめ
ケラモフはステロイドユーザー?本人が疑惑に回答し“これが私のステロイドだ”と紹介した意外なものとは?
【2025年版】現在UFCに参戦中の全日本人ファイターまとめ|戦績・対戦相手・契約までの経緯も簡単解説
【UFC P4P】UFCパウンドフォーパウンドで1位になった歴代ファイター10選まとめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました