〈コラム記事〉共犯関係は最後には崩れる──2つの裁判報道を見て感じたこと
ここ最近、北海道で起きた2つの重大事件の裁判報道を見ていて、改めて考えさせられることがありました。
一つは、旭川女子高生殺害事件です。
報道によると、内田梨瑚被告の裁判で、すでに懲役23年の判決が確定している小西優花受刑者が証人として出廷し、当時の状況について証言しました。
内田梨瑚被告は被害者に対して自分は橋から落としていないと裁判で主張していました。
ですが、
共犯関係にあった小西受刑者は、被害者の女子高校生が橋から転落した場面について、内田被告が肩甲骨付近を両手で押したという趣旨の証言をし、「姿が一瞬で消えました」と述べたと報じられています。
証人尋問で虚偽の発言をすることは罪に問われる中で、このような発言をしたとの報道が出ています。
もう一つは、江別市で起きた大学生集団暴行死事件です。
この事件では、長谷知哉さんが集団で超人間の暴行を受け、死亡しています。どれほどひどい暴行の内容だったかは広く認知されていると思います。
裁判では、事件後のLINEのやり取りも明らかになっており、すでに出頭した八木原亜麻被告について、川村葉音被告が「ボッコボコのめっためたにしてやる」と送っていたことなどが報じられています。
つまり、川村被告は友達の八木原被告が振られたことがきっかけで起きた事件だったのに、その八木原被告に簡単に裏切られ、それに非常に憤慨している内容のメッセージという事です。
この2つの裁判報道を見て思ったのは、共犯関係というものは、最後まで固い仲間意識で結ばれているわけではないということです。
犯行時には、仲間同士で気が大きくなっていたのかもしれません。
誰かがやっているから自分もやる。
みんなが加害しているから、自分も少しくらいなら関わっても大丈夫。
その場では、そんな感覚になってしまうこともあるのかもしれません。
しかし、重大な事件を起こした後、その関係は簡単に崩れていきます。
警察に出頭する人が出る。
法廷で当時見たことを正直に証言する人が出る。
お互いに責任を押し付け合うような発言が出る(嘘をついてるかもしれない)。
そして、かつて一緒に行動していた相手に対して、怒りや恨みを向けるようなやり取りまで出てくる。
そうした報道を見ると、共犯関係は決して強い絆ではないのだと感じます。
むしろ、犯罪の共犯でつながった絆は脆い。
その場では仲間のように見えても、事件が発覚し、自分の人生が大きく崩れそうになった瞬間、関係は一気に崩れていくのだと思います。
もちろん、事件ごとに事情は異なります。
ただ、少なくとも今回のような裁判報道を見る限り、複数人で他者を傷つけるような行為に加わったとしても、最後まで誰かが守ってくれるわけではありません。
むしろ最終的には、それぞれが自分の身を守ろうとし、供述は食い違い、責任の押し付け合いになっていく可能性が高いのだと思います。
だからこそ、改めて大事なのは、他者を加害するような行為には絶対に関わらないことです。
特に危険なのは、「みんながやっているから」「その場のノリだから」「自分だけ止めても仕方ないから」という感覚です。
その場では軽い気持ちだったとしても、相手の人生を奪ったり、取り返しのつかない被害を与えたりすれば、その責任は一生消えません。
そして事件後、当時一緒にいた人たちが最後まで味方でいてくれる保証などありません。
犯罪の共犯でつながった絆は脆い。
このことは、今回のような裁判報道から強く感じる教訓の一つだと思います。
その場の空気に流されて加害に加われば、被害者や遺族に取り返しのつかない苦しみを与えるだけでなく、自分自身の人生も大きく壊してしまう。
だからこそ、どんな状況であっても、他者を傷つける側に回ってはいけない。
今回の裁判報道を見て、改めてそう感じました。

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